羽田空港世界一の清掃員新津春子さんの壮絶な生い立ち【ありえへん∞世界】

掃除

2016年7月12日放送の「ありえへん∞世界」で
「世界一キレイな羽田空港の清掃員」がとりあげられました。

地獄の人生からはい上がった日本一の清掃員、新津春子さんを紹介!

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日本一の清掃員、新津春子さん

中国人だったのにある日突然日本人だと告げられ、
地獄の人生からはい上がった日本一の清掃員を紹介。

それは新津春子さん。

春子さんは中国で生まれ17歳で日本に帰国。
その後、21年間に渡りベテラン清掃員として
羽田空港を清掃し続けている。

2016年、羽田空港は世界550の主要空港の中から
世界一きれいな空港に選ばれた。

春子さんの仕事に密着。

トイレの清掃では、手鏡を使って便器の裏側まで磨き上げていた。
午後1時からは管内全てをチェック。
遠くの小さな透明のゴミまで、見逃さずにチェックしている。

午後4時、事務所に戻るとデスクには鉄アレイが置かれていた。

清掃道具が重たいため、清掃のために身体を鍛えているという。

仕事は午後9時になっても続いた。
春子さんは、80種類の洗剤と50種類の清掃道具を
駆使している。

春子さんの技術は、羽田空港でナンバーワンだという。

深夜1時半からは窓清掃を始めた。
春子さんは、誰もが気持ち良くなれる「優しい清掃」を心がけている。

新津春子さんの生い立ち

1970年、中国・瀋陽で生まれたという春子さん。
中国人として生まれ育った。
春子さんは友達のたくさんいる優しい少女で、
家族には2人の姉弟と両親がいた。
父はあまり先のことは考えない性格だったという。

しかし父は知られてはいけない秘密を胸に秘め、
表向きは平穏な暮らしを送っていた。
しかし春子さんが小学生のころ、人生を変える出来事が。

父は家族を前に日の丸の国旗と日本軍人の写真を見せた。
父は中国残留日本人孤児だった。

中国人の母は承知で結婚していた。
春子さんは、突然の父の告白で
自分が日本人であることを知った。

当時、戦争の影響で日本人は中国人から深く恨まれていた。
第二次世界大戦以降、日中は国交を断絶していたが、
田中角栄の外交が実り、1972年には国交が正常化した。

お父さんは中国と日本は仲直りしたので
日本人として生きていけると思った。

春子さんは日本人という事がまわりに知れ渡った途端、
親友からも石を投げつけられるようになったという。

春子さんが17歳になった時、
一家は中国を離れ。1986年日本へ移住した。
日本の豊かさに感激したという春子さん。
名前は田中角栄にちなんで田中春子に解明した。
中国残留日本人孤児として帰国したため、
日本政府が援助もしてくれた。

日本に移住して直後、わずかな貯金しかない中で
春子さんの父は働けるのだからと生活保護を断ってしまう。

そして、物価の高さから極貧生活を強いられた。
毎日買えた食品は、30円のパンの耳だけだったという。

当時17歳の春子さんは高校にも通えず、
父も日本語の読み書きができなかったために
仕事が見つからなかった。

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一家全員で清掃会社に就職

厳しい生活を強いられている中、
春子さんは清掃員募集の張り紙を見つけた。

すぐに連絡すると、一家全員で清掃会社に就職できた。
春子さん一家は懸命に働き、
春子さんも18歳の時に高校に入学した。

18歳の時に高校に入学した春子さん。
しかし中国から来たと先生から自己紹介直後から差別を受け、
日本でもイジメの対象に。

新たな掃除のアルバイト先でも、
中国出身というだけで盗人扱いをされたという。

誰かに認めてほしいという思いから、
清掃の技術でナンバーワンになろうと、
春子さんは24歳のときに
品川職業訓練校のビルクリーニング管理課に入学。

鈴木先生との運命の出会い

春子さんは、この学校で大きく運命を変える人に出会ったのです。

それは清掃業界屈指の知識と技術を持つ鈴木先生。
落とせない汚れはないといわれた清掃のスペシャリスト。

春子さんは鈴木先生が勤める羽田空港の日本空港技術サービスに入社。
そこで鈴木常務から厳しい指導を受け日々が続いた。

80種類の洗剤と50種類の道具を組み合わせることで、
あらゆる汚れが落とせる技術を習得。

しかし、いくら技術を取得しても鈴木常務は
決して認めてくれなかった。

「いつか仕事を認めてもらい
自分の存在も認めてほしい」という思いから、
春子さんは必死に清掃技術を磨いていった。

すると春子さんは難関国家資格の
ビルクリーニング技能士に合格。

しかしこれでも鈴木常務は認めてくれなかった。

その後、ビルクリーニング技能士たちが
清掃技術を競い合う大会に最年少で出場すると、
東京都で第2位となった。

結果を鈴木常務に伝えると
「まだまだですね。君はまだ清掃というものがわかっていない」
どんなに上達しても認めてくれない鈴木常務。

すると鈴木常務は、春子さんに
「君の清掃には優しさが足りない。
技術だけで心がないんだ」という言葉をかけた。

春子さん「わたしはここまでできるんだよということを
相手に伝えたかっただけ。そういう感情しかなかった。」

差別といじめを受け続け、
優しさを失ってしまった春子さん。

人を寄せ付けない無表情な顔。

春子さんはなくした優しさをとりもどすため、
無理にでも笑うことを心がけた。

最初はぎこちなかったが微笑みながら清掃を続けていると、
初めてお客さんから「きれいにしてくれてありがとう」と
お礼を言われたという。

温かい感謝の言葉を言われるたびに
春子さんに優しさが戻ってきたという。

そして後日、全国ビルクリーニング技能競技会に
出場した春子さんは、東京都代表で全国大会に出場。

「心を込めた優しい清掃」を心がけ、
競技会に優勝し、日本一の清掃員に輝いたのです。

ビルクリーニングの全国大会で優勝し、
日本一の清掃員になった春子さん。

最も自分の存在を認めてほしかった鈴木常務は、
「優勝するのはわかっていましたよ。
よくやりました。おめでとう。」
この時に春子さんを初めて認めてくれたのです。

その後、鈴木常務は62歳で他界。

春子さんは、鈴木常務の仕事を引き継ぎ、
清掃スタッフを統括するリーダーとして
真心のこもった「優しい清掃」を続けている。

その結果、羽田空港は3回も「世界一キレイな空港」に
選ばれたのです。

世界一きれいな空港の舞台裏には逆境を優しさで
乗り越えた1人のたくましい女性がいたのです。

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