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お茶の急須

「カンブリア宮殿」の「伊右衛門」の“1兆円ヒット”を生んだ
京都の老舗茶舗の革新力

京都の老舗茶舗の福寿園。
福井正憲会長の伝統と革新の
“二兎を追う”経営に迫ります。

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宇治はお茶の産地

京都の南に位置する宇治市。

この町で有名なのが10円玉のデザインでおなじみ平等院。
そしてもう一つ。
宇治は日本屈指の伝統をもつお茶の産地。

宇治にできたユニークな店(宇治茶工房)。
連日詰めかけるお客が食べているのは他にない味わいというかき氷。
本場の宇治抹茶をふんだんに使った濃厚な味
ここには他では食べられないお茶を使ったメニューがたくさん。

季節の具材たっぷりのこちらのおにぎりには玉露の茶葉が混ぜ込んである。
でも本当の人気の秘密は店の奥に。
そこには茶畑が。
この店では茶摘み体験ができるのです。

また、摘みとった葉を熱したホットプレートの上で乾燥させ、
更に茶葉の渋みを揉み出していく。

これを繰り返すことで香り豊かなおいしいお茶ができます。
ここでは茶葉の収穫から加工までお茶作りのすべてを体験できるのです。

一方では茶葉を臼で挽くところからできる抹茶づくりを体験していました。

この楽しい施設を運営するのは福寿園という会社。
福寿園とはあのペットボトルの緑茶伊右衛門で知られる京都の会社。

いまやコンビニの飲み物売り場で圧倒的な存在感を放つ緑茶飲料。

1990年に伊藤園が「お~いお茶」を初日したのがその始まり。
そこに2004年、サントリーが伊右衛門で殴り込みをかけました。

京都の老舗と組むというそれまでにないペットボトル茶が老舗ブームを巻き起こし
市場を大きく拡大させたのです。

伊右衛門の販売数は年間5000万ケースを突破。
サントリーが扱う飲料のトップ3のブランドにまで育ちましった。

福寿園とは

発売から12年。
伊右衛門を企画したサントリーの担当者を訪ねた。
当時若手だった沖中直人さんも今は執行役員。

累計売上高は1兆3000億円と話す。
全く予想はしていなかったそうです。

その成功を支えたパートナーが福寿園。
老舗のお茶屋さんは全国にたくさんあるが調べていった中で我々が組む相手は
福寿園さんしかなかったと話す沖中さん。

ちなみにこの伊右衛門福寿園の創業者の名前。
そこまでサントリーがほれ込んだ福寿園とは?

福寿園は宇治の南にある木津川市で宇治茶の伝統を受け継いできました。

江戸時代の創業から226年。
現在は年商120億円を超える会社。

福寿園は契約農家から仕入れた茶葉を加工し自社ブランドで販売したり、原料として
飲料メーカーに売っているお茶の製造販売。

その現場を覗くと、職人が手揉みで茶葉の加工を行っていた。板を使って水分を揉み出す伝統の製法。

この工程は宇治にしかなく、雑味の原因となる成分をとるため板を使って
しっかり揉んでいるとのこと。

この手揉みを実に4時間以上も続け渋みのない針のような茶葉をつくりあげる
福園はそんな伝統の技で、こだわりのお茶を作っています。
ところが別の場所を覗くと先ほどとは打って変わった光景が。

ペットボトルの伊右衛門に使われる茶葉もその全てを福寿園が加工し、
サントリーに販売しているのです
老舗とは思えないハイテクマシーン。

こちらは海外でも売られている商品。
水に入れるだけで手軽にお茶が楽しめる「伊右衛門」緑茶スティック

福寿園は「最先端」+「伝統伎」のお茶のメーカー。
そんな福寿園をつくりあげたのが福寿園8代目、福井正憲会長。
信条は二兎を追う経営。
手間をかけた高級茶から大量生産のペットボトルまで、福寿園の歴史は伝統と革新の歴史。

1790年福井伊右衛門が創業した福寿園は当初は農家から買った茶葉を加工して小売りへ販売する問屋業だったがビジネスを拡大。
6代目、福井正憲会長の父は京都駅構内に宇治茶の直売店を開きました。
そのころはまだ宇治茶というブランドは存在しなかった。

町の小売店が問屋から買った茶葉を福井の父は自分たちが加工した茶葉を宇治茶というブランドで売ることを始めたのです。
作りたての鮮度を保つため工場でパック詰めにして販売。
そのおいしさがヒットに。
しかし、27歳の時に6代目の父がなくなりお兄さんと会社経営を任されました。
福井は百貨店などに次々と出店。
その一方で最新技術を駆使した商品を作りました。

当時、まだ珍しかった牛乳パックの包装技術を使い茶葉の鮮度を保つ商品福寿パックや、
1983年には初の缶入り日本茶を発売。

福井が果敢に革新的な商品に挑んだ背景には台頭するライバルの存在があったのです。
そんな福井の伝統と革新の集大成が京都の中心にそびえる福寿園タワー。
地下1階で人気を呼ぶのは本物のお茶のおいしさを伝えるラウンジ。
京都周辺から集めた極上の茶葉をブレンドしお茶に合わせた最高の淹れ方で提供してくれる
使う茶葉は10g1,000円などかなり高級。

そんな伝統の味を伝える一方レストラン(京の茶膳)では革新的お茶の使用法が。
運ばれてきた舌平目の上にのるのはパン粉とからめ焼きあげた抹茶
この店はお茶を使ったフレンチを出す専門店。
考えたのはもちろん福井会長。
メニューを考えるのはベテランフレンチシェフの中野シェフ。
福井の依頼を受けどうすれば料理に日本茶を使えるか考え続けてきました。
伝統のお茶文化を大胆に変貌させる福井。

そこには革新の連続こそが伝統を築き上げるという信念がある。

スタジオで玉露のお茶を試飲。
100gで1万円。

玉露は日光を遮って光合成を抑え渋みを減らしたお茶。
40度程度のぬるいお湯でゆっくりと抽出。
待つこと3分。
「今まで飲んだことない」と小池栄子さん

福井会長は
生産者の栽培
メーカーの加工精選技術
お客の淹れ方の技術
の3つで味を作るといいます。

そして飲み終わった玉露のお茶は食べられるのだそうです。

だししょうゆでおひたしに。
「おいしいです」と小池栄子さん。

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「伊右衛門」誕生の舞台裏

累計1兆円を売るサントリー伊右衛門。
季節ごとにブレンドを変えるなど
味へのこだわりが長年の支持につながってきました。

いったいその絶妙の味わいは誰が作り出しているのか?
それがサントリーに茶葉を提供する京都福寿園。
その研究施設には伊右衛門の味を決める男が。
福寿園が誇る茶匠、谷口良三さん。
まず契約農家から買い付けた茶葉から「伊右衛門」用を選別。
重要なのがその香り。

膨大な茶葉の味を見極め、
その中から欲しい味わいのものを見つけ出す。

でも匠の技はここから。

今度はその選び出した茶葉をブレンドしていく。

そのブレンドで味を左右するのが
茶葉を熱する火入れの工程。

火入れ時間を変えた茶葉を組み合わせ
狙った味に仕上げていくのです。

伊右衛門の味はこうして20種類以上の
茶葉を複雑に組み合わせる匠の技で
作られていくのです。

実はそんな伝統の技と大量生産の設備。
その両方を兼ね備えることこそがサントリーが
福寿園にほれ込んだ理由なのです

しかし伊右衛門発売への道のりのなか
福寿園8代目の福井会長と
サントリーの間に対立があったという。

両者がもっとも緊迫した瞬間は沖中直人さんが
ネーミングを「伊右衛門」と提案した会議だったという。

ネーミングについてはこの名前しか
考えていないといったそうです。

提案書を見た福寿園の役員たちは目を疑った。
思いもよらない福寿園創業者の名前だったのです。

福井会長は「この場では決められない」

そして会議を終え、
福井会長はひとり悩み続けたのです。

先祖の名前は代々のもので一族のもの、
サントリーとのコラボも一度断った。

提案を受け入れた理由

福井会長「過去の歴史を調べてみたら、
その時代に合う事をやってきた。
だから伝統は新しいことをすればこそ守れる。
わたしは8代目の当番だからちゃんと
次に渡さないといけない。

また創業者の名なら変な物を作れない。

良い品質の原料を作ろうと加工技
術を開発した。
先祖に恥をかかせないという使命感でやった。」

福井正憲のアイデア

福寿園本店の5階にあるのは茶器を売るフロア。
そのほとんどがオリジナル。

茶道に使う抹茶用の器を見てみると
通常の焼き物でなくなんとガラス製。

福井会長「私の価値観ではその湯飲みで飲めば
お茶がおいしく飲めるかが一番大事。」

こちらの急須も変わっていた。
なぜか内側が真っ白。

内側が白い理由は茶葉の美しい緑色が
映えるようにとのアイデア

伝統にとらわれず自由なアイデアで
お茶をとらえるのが福井流。

実はそんな福井の発想の源が
6冊の本にある。

福井が50年間続けてきた
世界をまわる視察旅行での記録。

そこで見てきたのは世界各地の
お茶に関するビジネスやその文化。

福井会長は工業化のノウハウや
新しい飲み方など視察旅行からさまざまな
アイデアを得てきたという。

すでに150回を超えるその視察に同行。

8月中旬福井が降り立ったのは
モンゴル南部の小さな空港

早速始まるのが世界の競合商品チェック
常に頭を占めるのは日本茶のこと。

今回は奥さんを連れての行程。

福井にとって絶対に見てみたい
お茶の現場がこの砂漠の先にあるという。

ようやくたどり着いた福井を出迎えた女性は
まさにゴビ砂漠で暮らす遊牧民。

その住居ゲルへ案内された。
できるかぎりその土地の生活に触れる。

そして最大の目的は遊牧民のお茶。

なぜかお茶の葉は固められていた。

ラクダのミルクで煮出すというお茶の名前は
スーテー茶。

沸騰したところへバターと塩を少々。
日本のお茶とはずいぶん違う作り方。

世界中のお茶を知ることで
日本のお茶の独自性に気づかされるという。

ゴビ砂漠の真ん中でしか味わえない貴重な一服。

すると福井会長は突然持ってきた玉露を取り出した。

福寿園自慢の玉露でスーテー茶を作ろうというのです。

世界初の玉露とスーテー茶の出会い。
早速みんなに飲んでもらった。
“すごくおいしい。”
すっかり打ち解けることができた

福井会長は世界中でこんな出会いを繰り返し
独自のアイデアを生み出してきたのです。

伊右衛門で儲かったお金の使い道

累計1兆円を売り上げたサントリー伊右衛門。
手を組んだ福寿園は利益を何に使ったのか。

例えば総工費15億円の福寿園本店。
中でも福井が特にお金をかけたのが
こちらのフロア。

伝統的な造りの茶室をわざわざ
京都市内から移築してきた。

実際お茶文化を体験できる場として
外国人旅行客の間で人気スポットとなっている。

英語のできるスタッフがつきっきりで
お茶の伝統を教えてくれる。

更に福寿園が伝統を伝えるのは外国人だけではない。

損保ジャパン日本興亜などで
企業を対象に来客者への
お茶の淹れ方を教える講座も行う。

1回1時間の講習でお湯の温度から
お茶を注ぐ量まで誰でもおいしく淹れることが
できるようになる。

おいしく淹れる裏ワザも伝授。

福井会長の狙いは日本人でさえ
忘れかけているお茶の良さを伝えること。

大量生産の商品と伝統のお茶文化。
その二兎を追うバランス感覚こそが
200年続く福寿園の神髄なのです。

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